ル道 ルネサンスを極めル物語 【サウナ編】
運動しない、
そんなルネサンスの使い方もあり。
ジムは建前
本音はサウナ。

帰り道の「ジム&サウナ」の看板。
僕はその瞬間
ちょっとした作戦を思い付いた…。
今日もサウナの看板を恨めしく見上げながら家路を急ぐ。
我が家まであと少し、というところで、工事中だったビルに「ルネサンス」の真新しい看板を見つけた。
ああ、こんなところにスポーツクラブができたのか。運動なんて、入社して以来縁がない。
何も考えず通り過ぎようとしたとき、「ジム&サウナ」のポスターが目に入った。
その瞬間、僕はちょっとした作戦を思いついた。
「サウナに行ってきた。」
と言うと妻は…

「サウナに行ってきた」と言うと、妻はちょっと眉間にしわを寄せる。
妻の中でサウナのイメージは、僕の飲みの予定とセットだ。
オッサンが汗だくになっているところ、飲み屋街の外れにあるところ、飲んだ帰りに終電がなくなって泊るところ。
そんな旧態依然としたサウナ文化は廃れて、今はスーパー銭湯のように明るく清潔なんだよ。
そう説明したところで、一度ついたイメージが簡単に払しょくされることもなく。
はっきり「やめたら」とは言われないが、喉元まで限りなくその言葉が出かかっているのがわかる。
だからといってサウナを諦めるのは無理だ。
同僚は顧客の死語に目を泳がせて僕に助けを求めるし、上司は言いづらいことを全部僕に言わせようとする。
自分に役割があるのはありがたいことだが、心配事は絶えない。
いつかフィクサーになってすべてを牛耳ってやる!と心の中で弱々しく毒づいた。
サウナはそれまでの唯一のお楽しみ、素のピュアな
自分に戻るための大切な瞬間なんだ。
1時間弱のサウナ通いくらい許してくれよ!と思うものの、堂々と「行ってくる」と言えない自分がなさけない。

サウナで始まったルネサンス通い。
スポーツクラブらしいけど(笑)

帰宅するともう夕食が用意されていた。焼き魚に味噌汁か。本当はガッツリした。肉料理が食べたかったんだけどな。
「本当はガッツリした肉料理が食べたかった、なんて思っているんでしょ。」
ニヤニヤしながら、妻がキッチンから話しかけてくる。
なんでわかったんだ。
「最近おなか周りがたるんできたこと、知ってるんだから。ダメよ、魚も食べないと。」
そう言われては返す言葉もない。
僕は適当な返事をして食卓に目をやった。その隅に「スポーツクラブルネサンス新規オープン!」のチラシが置かれている。
「スポーツクラブ、できたんだ。」
さも初めて知った風に、僕は言った。
「こんな近くにできたんだから、あなたも行って、少しは運動したら。」
まさか妻のほうから切り出されるとは思わなかったが、がっつくのも怪しまれるので、とりあえず逡巡しているように見せかける。
「ええ……だけど、仕事帰りに寄ってきたら、帰宅が遅くなるし、家事も分担できないよ。」
「私が残業になるときもあるし、交代でうまくやりくりすればいいんじゃない?
メタボで将来医療費がかかることを思えば、月会費くらい構わないわよ。」
「運動かあ……。」
さもやる気なさそうに返事をしながら、背中を向けて僕は小さくガッツポーズをした。
それから僕のルネサンス通いが始まった。お目当てはもちろんサウナだ。行くのは週に2~3回で、だいたい仕事帰り。
ランニングマシーンを横目で見ながら、サウナに直行する。

よどんだ汗が毛穴の奥から老廃物をグイグイ押し出すんだ。

1セット目
まずは逸る気持ちを抑えながら大浴場で湯通し。
あたふたとサウナ室に入っていく。
金曜日のこの時間は、他の曜日より若干人が少ないようだ。
とはいえ上段とストーブの正面はもう空きがなく、僕は下段の端に自分のマットを置いた。※1
90度。うん、今日も適温だ。
暗めに抑えられた照明がなんとも良く、心を落ち着かせてくれる。
テレビもあるが見る気分ではなかったので、僕は目を閉じて今日会社で起こったトラブルを思い返していた。
肌が焼かれるようにジリジリと熱い。
その感触だけに集中しているうちに、世俗の雑念は徐々に頭の中から居場所を失う。
サウナって、苦行であり瞑想だよなあ。
何が嬉しくて、と思うがやめられないんだ。
思考が肌感覚だけに埋め尽くされたところ、気づけば8分が過ぎていた。
水風呂※2に移動し、鼻腔に入った熱風をため息とともに吐き出すと、
ああ、あのトラブルはこうすれば良かったのか、などと、少し心も軽くなる。
2セット目
2セット目、サウナ室に入ってしばらくすると、いよいよオートロウリュ※2の始まりだ。
上段に空きを見つけ、僕はそこに移動した。毎回、この始まりのワクワク感がたまらない。
マイナスイオンをいっぱい含み、熱風が僕に押し寄せる。
身体は中心から手足の先までリラックスしきっている。
さっきまでとはまた違う汗が、どんどん出てくるようだ。
ベタベタとよどみ、毛穴の奥から老廃物をぐんぐん押し出しているさまを僕は想像した。
身体中の悪いものたちよ、入れ替えの時間だ。もうそこにおまえの居場所はない。
さあ、出ていくのだ!いや、出たいのは実際、僕のほうだ。
暑い……今すぐここから離れたい……ガ、ガマン、この苦痛が良い。極楽はすぐそこだ。
8分が過ぎ、僕は弾かれるようにかけ湯をめざした。※3
これを軽んじる輩もいるようだが、もってのほか。かけ湯は水風呂に誘う、まさに水先案内人だ。
丁寧に、味わうように身体全体に行き渡らせ、それから水風呂に飛び込んだ。
冷水で一気に引き締められる肌、その内側に熱が漲っている。
じんわり、という言葉が正しいのかわからない。
じんわり冷えるのか、じんわり温まるのか、だがそうとしか言いようがない。
息を潜めて肩までじっと浸かっていると「羽衣」が包み込んでくれるのが感じられる。
日照った身体と冷水を遮る、この繊細で柔らかい温度の幕。羽衣とは良く言ったものだ。
サウナーは、水風呂で母の胎内に還るのか。
しばしこの優しさを甘受しよう。ああ、2セットめも最高すぎる……。

3セット目
3セット目は10分にした。
今度はぼんやりと視線をテレビにやった。お笑いの特番か。
そういえばこのところ忙しくて、ゆっくりテレビを見る暇もなかったなと思う。
この間、賞をとり損ねたコンビが出ていた。
研ぎ澄まされた脳に、粗の多いコントの設定がいちいち引っかかる。
おもしろいのかおもしろくないのかわからないが、サウナで見るもんじゃないな。
- ※1)上段は高温、下段は低温に感じます。その日のコンディションでポジション選択を。
- ※2)設置のない店舗もございます。 ※3)水風呂入浴前はキモチよく汗をお流しください。
- ※3)水風呂入浴前はキモチよく汗をお流しください。

サウナの神が降臨する。
ひらめきとアイデアを授けてくれる
特別な時間。


そしてついに、その瞬間はやってきた。
3度めの水風呂を堪能し尽くした後に、ととのい椅子に座る。
ひたひたと快感が侵食してくるのがわかる。
サウナの神が降臨する。
僕に閃きとアイデアを授けてくれるこの特別な瞬間、さあ今日はどんな、
いやもうそんなことどうでも、いいっ……
ああああああっキタァーーーーッッッッ!!!!!
脳は猛烈に冴え、感覚は鋭敏になり、大量の刺激が濁流のように僕の中に流れ込むのがわかる。
怒涛のごとき開眼と、それと相反するかのごとき脳が溶けるような安らぎ。※4
無駄に力みまくった身体はほぐされ、脳に濁流のごとき恍惚感が押し寄せてきた。
ここは快楽の大海だ……大海原に放り出され、なすすべもなく僕は……リラックスの深海に泥のように飲み込まれていった。
今日もすばらしい「ととのい」をありがとう……。
後ろ髪を引かれる思いのまま、僕はよろよろと椅子を後にした。
控えめに言って、ここのサウナは最高だ。
スポーツクラブ併設のサウナだから多少期待外れでも仕方ない、くらいに思っていたのだが、
こぢんまりとしながらもすべてのバランスが良く、僕はここのサウナに夢中になった。
何より家から近いし、いやもう十分すぎる満足感だ。
更衣室を出たとき、※5 何人かがジムエリアからサウナに移動してきた。同僚だろうか。
「筋トレ後のサウナが最高なんですよね。筋肉の疲れもとれるし、サウナだけより、よく眠れますよ」と話している。
へえそうなんだ。サウナとジムが一緒にあるなら、運動に縁のない僕だって喜んで通うのは目に見えている。
ボチボチやれる範囲で、今度筋トレでもしてみるかな。
- ※4)サウナ入浴中にβエンドルフィン・オキシトシン・セロトニンなどの脳内麻薬が分泌されると言われています。鎮痛効果や気分の高揚・幸福感が得られ、これが所謂「ととのい」の素。 ※5)水分補給、怠るべからずです。普段と違う「水の旨み」をご堪能ください。

運動しなくてもいい。そんなルネサンスの使い方もありです。

時間は20時を過ぎていた。ルネサンスを出て、ウチまでは徒歩10分。
少し冷たい風が外気浴代わりとなり、ととのいの余韻を増幅させてくれる。
夜の帳が下りる匂い。身体中のすべての感覚が研ぎ澄まされているとわかる。
そう、この時間も好きなんだ。自分へのご褒美。
カロリー高めなご褒美って多いけど、低カロリーどころかデトックスできるご褒美なんて最高だね。
仕事のストレスはもう、頭の中からすっかり消え去っていた。
ほどよい解放感ののちに、ウチの玄関が見えてきた。
ふっ、と味噌汁の香りがする。ああ、今日も和食だ。
ヘトヘトで帰宅していた毎日。
自宅前で味噌汁の香りを感じたことなんて今まであっただろうか。
紅潮している僕。運動してきたと信じている妻は、笑顔で労って夕食を出してくれるだろう。
少しだけ罪悪感。
そのうち本当に運動もして帰るから許してくれ。
明日は妻がルネサンスに行く。
はまっているというヨガで、彼女も紅潮し、おなかを空かせて帰ってくるだろう。
明日はこの味噌汁に負けないくらい、旨いミネストローネ、つくって待ってるからね。