イメージ画像

ルネサンス選手コース出身の池江璃花子が語る
「水泳の魅力」

2大会連続でオリンピックに出場した競泳の池江璃花子選手。16歳のときに初めて出場した2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、日本人選手最多の7種目に出場し、100mバタフライで5位に入賞しました。しかし、2019年に白血病を発症。闘病を乗り越え、2021年の東京オリンピックでは3種目に出場を果たしました。

そんな日本を代表するスイマーである池江選手は、中学1年生のときからルネサンスの選手コースで練習を積んできたとのこと。今回は、2024年のパリオリンピックを目指す池江選手に、水泳の魅力や病気になって学んだこと、そしてルネサンスでの思い出や練習で心掛けていることについて聞きました。

「楽しい」と感じるより前に、泳ぐことが当たり前に

――池江選手が水泳を習い始めたのは3歳10ヶ月のとき。意外にも当初は、池江選手が水泳を習うことにお母さんは反対だったそうです。

池江「元々私の姉と兄が水泳を習っていたのですが、2人が泳いでいる姿を見て、自分から水泳をやりたいと言い出したらしくて。でも、母は私にあまり水泳をやらせたくはなかったみたいなんです。母も小さい頃に水泳をやっていたそうなのですが、すごく練習がつらくて、こんなに苦しい競技を子供たちにはやらせたくないと思っていたと言っていました」

――しかし、5歳のときには自由形、背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎの4泳法すべてで50mを泳げるようになったというから、池江選手の才能には驚かされます。習い始めた当初から、泳ぐことを楽しいと感じていたのでしょうか。

池江「その頃のことって、まったく覚えていないんですよね。気がついたときには水泳が生活の一部という感じでした。本当に水泳が楽しいと思い始めたのは、多分高校生くらいじゃないかな?小さい頃は泳ぐことが当たり前すぎて、『楽しい』とか、そういう感情を抱くより前に何も考えずに泳いでいました。学校が終わったら当然のように練習に行くっていう毎日で」

――小さい子供なら練習に行きたがらないこともあるのではないかと思いますが、池江選手のモチベーションは下がらなかったといいます。

池江「小学生になっても、練習に行きたくないと思うことはあまりなかったですね。ほかの習い事は『お腹が痛い』と言って休んだりした記憶があるのですが(笑)、水泳だけは休むことはなかったんです」

――水泳のほかにも、ピアノや書道、そろばんなどの習い事をしていたそうですが、最終的にずっと続いたのは水泳だけでした。

池江「ほかの習い事は全部、自分から辞めたいって言いました。やらされていると感じてしまって、楽しくなかったんです。でも、水泳は一度も辞めたいと思ったことはないんです。ただ、小学生の頃は水泳が楽しいというよりも、水泳教室で友だちに会うのが楽しかったのかもしれません(笑)。練習前にみんなで遊んだり、練習後にワイワイしたりするのがすごく好きで、そのために行っていたような気もします」

いつも「選手にとってのベスト」を考えてくれるルネサンス

――幼い頃は、水泳教室に通うことを楽しんでいたという池江選手。そんな彼女が競泳選手を目指そうと意識したきっかけはなんだったのでしょうか。

池江「選手を目指したきっかけは…特にないです(笑)。気がついたら選手になっていた、という感覚です。いつの間にかタイムが早くなっていって、自分もまわりも、私が競泳選手の道に進むことが当然みたいな流れになっていきました。だから、自分の中ではきっかけというきっかけはないんですよね」

――中学1年生のとき、ルネサンスのスイミングスクール・選手コースに入会。ルネサンスを選んだのは、当時ルネサンスで選手コースを担当していた村上二美也コーチの存在が大きかったといいます。

池江「小学生のときに教わっていたコーチが中学生になると担当を外れてしまうと聞き、新たなコーチを探すことになりました。小学6年生のときの競泳のジュニア合宿で村上コーチと出会って、いいコーチだなと思っていたんです。それでルネサンスを調べたら、自宅から近いところにあって、公立中学に通いながらでも通える距離だったということが決め手になりました」

――オリンピックでのメダル獲得を目指すルネサンスの選手コースでは、それまでとは練習内容も大きく変わったそうです。

池江「当時、選手コースには5人くらい所属していたのですが、私だけが中学1年生で、ほかは高校2、3年生の選手ばかりだったんです。それまで、私は練習では毎日3,000mくらいしか泳いでいなかったんですけど、先輩たちに合わせて、いっしょに毎日6,000mも泳ぐことになりました。当時は体力もないし、スピードにもついていけないし、本当にたいへんで、毎日食事もしないで寝るような生活でした」

――その後、選手コースの人数も増えて練習環境も変わったそうですが、そのときのハードな練習が池江選手の基礎を作り上げたのかもしれません。ルネサンスに通ってよかったと感じるのは、「選手目線で考えてくれるところ」だといいます。

池江「ルネサンスは、どこのスイミングクラブよりも一番のびのびとやらせてくれた気がします。常に選手目線で『選手にとって何がベストか』を考えてくれて、柔軟に対応してくれました。それに、だんだんと遠征が多くなってルネサンスで練習する時間が減っても、ルネサンスという会社全体で応援してくれているのを感じるんです。そういう些細なことが選手にとってはすごくうれしいし、励みになるんですよね。だから、すごくよい関係を築けていると思います」

白血病からの復活の裏で感じていた葛藤と
「自分だからできること」

――日本を代表するトップ選手となった池江選手ですが、結果を出すために練習や日常で心掛けていることはあるのでしょうか。

池江「日本記録をバンバン出していた高校生の頃は、毎回毎回の練習で『今日もがんばれた』『今日の練習は自信になった』と、自分にとっての自信につながるようなトレーニングをできたことが、一番結果につながっていたと思います」

2019年に白血病を発症して入院。その後、絶望的かと思われた2021年の東京オリンピックへの出場を決め、その復活劇には日本中が感動しました。しかし、自身の中では元のように動かない身体に苛立ちを感じることもあったといいます。

池江「落ち込むときは、本当にとことん落ち込みますね。まわりから見たら順調で、復帰してすごいって思われていたりすることもあるんですけど、実際は苦しんでいることもあるし、周囲のことを考えすぎて頭がいっぱいになっちゃうこともあります」

――とことん落ち込んだとき、そこから浮上するために池江選手はどう対処しているのでしょうか。

池江「やっぱり練習でしょうか。私は結果が悪ければ悪い程、早く練習したいっていう気持ちになるタイプなんです。基本的に試合の翌日ってオフなのですが、私はオフの日も休んでいる場合じゃない、早く泳がなきゃ、という気持ちになりますね」

――水泳に対するモチベーションが落ちてしまったときも、そんな自分を否定するのではなく、日々変わらずに練習に打ち込むことが大事だと語る池江選手。

池江「常にモチベーションを保ち続けて、同じ熱量で目標を追い続けることは、難しいと思います。どうしても気持ちが落ちてしまう時期がありますが、毎日の練習をしっかりやって、その結果調子が上がってきたら自然とモチベーションもまた上がってくる、と信じているんです」

――退院するときに発表された池江選手からのメッセージには「病気になったからこそわかること、考えさせられること、学んだことが本当にたくさんありました」とありました。

池江「病気をする前は、水泳がすべてだと思っていたような気がします。今は前よりもっと、水泳以外のいろんなことも一生懸命やろうと思うようになったかもしれません。イベントに呼ばれることがあるのですが、病気を経た『今の自分』だから呼んでもらえた部分もあると思うし、自分にしかできないことが増えたということを感じています」

――池江選手が考える、自分にしかできないこととは―。

池江「新国立競技場で開催された東京オリンピック・パラリンピック開会1年前プログラムで、アスリート代表としてスピーチをする機会がありました。『今まで当たり前だと思っていた未来は、別世界のように変わる。それは、私も大きな病気をしたからよくわかる』というあのときの言葉や表現に、当時の自分の感情が全部入っていました。オリンピックが1年延期したことで苦しんでいる選手もいるし、私のように間に合った選手もいるし…。さまざまな思いを抱えた方たちの気持ちを背負ったあのときのスピーチは、自分にしかできないことだったと思います」

一度きりの人生だから満足するまで水泳をしたいし、
その姿を子どもたちに見てほしい

――スピーチで「逆境からはい上がっていくときには、どうしても、希望の力が必要」と語った池江選手は、水泳がその希望の力になりうると教えてくれました。泳げない時期があったからこそ、池江選手の水泳に対する思いには変化があったのでしょうか。

池江「ふとしたとき、普通にアップで飛び込んで泳いでいるときに『ああ、水泳って楽しいなー』と思うことがすごく増えましたね。退院してから3年経ちましたけど、そういう水泳に対しての『好き』とか『楽しい』っていう気持ちは、昔よりも強く感じるようにはなりました。もちろん練習はきついし、やりたくないって思うときもありますけど、根本的な、水泳をやっている意味みたいなものはずっと変わってないなと思います」

――池江選手が感じる「水泳をする意味」とはなんなのでしょうか。

池江「死んでしまったら全部なくなるものなので、こんなにきついことをわざわざやらなくてもいいと思うんです。でも、たった1回の人生だから、せっかくだったら何かを思いっきり極めてみたいって思っているんですよね。水泳は自分のために、自分が満足するまで、自分がやりたいからやっているだけだから。もちろん、結果や順位が問われることも多いし、結果が出ないと落ち込みますけど、今こうやって続けているのはやっぱり水泳が好きだから、というシンプルな理由なんじゃないかな…」

――周囲からのプレッシャーに押しつぶされそうなときがあっても、水泳を好きと思う気持ちが原動力になってきたという池江選手。2024年開催のパリオリンピックも目前に迫っています。

池江「もちろん、パリオリンピックに出場することも目標にしているんですけど、その次の2028年のロサンゼルスオリンピックも狙っています。水泳は体力勝負の競技なので、年齢を重ねると難しくなってはくるのですが、そこまでは狙っていきたいです」

――さらに「競泳選手ではなく、一人の人としての今後の野望はありますか?」と聞いてみると、意外な答えが返ってきました。

池江「たまに引退後のことを考えるときがあります。練習のことを気にせず、みんなが当たり前にできることをやってみたいというのが野望ですかね。修学旅行や体育祭などの学校のイベントにはほぼ不参加だったので、そういう楽しい思い出を今の自分にも作ってあげたいなと思っています」

――最後に、これから水泳を習いはじめようとしているお子さんやそのご家族に向けてメッセージをいただきました。

池江「私も子供ができたら、水泳はやらせたいなと思っているんです。水泳ができると学校の体育のときにかっこいいと思うし、ある程度自分の命を守れる体力も養われると思います。でも一番の理由は、身体がかっこよくなること(笑)! かっこいい身体を作りたいなら、ぜひ水泳をやってほしいと思います。ただ、嫌々やる必要は本当にないんです。私も水泳以外の習い事は、母に辞めたいって言ったらすぐ辞めさせてもらってきたので、自由にやらせてあげてほしいです。子供たちが自然に『水泳をやったら楽しそうだな』って興味を持ってくれるように、私たちががんばって泳ぐ姿をたくさん見てもらいたい。私たちが出場する競泳大会を見て、まずは『泳いでみたい!』って思う子供が増えたらいいですね」

~おわりに~
ルネサンスでは、子供が楽しみながら段階的に泳法を習得できるジュニアスイミングスクールのコースを開設しています。子供の習い事としてスイミングをお考えの方は、経験豊富なコーチが在籍するルネサンスのスイミングスクールをぜひご検討ください!
アイコン 「ジュニアスイミングスクール」ご案内ページへ

見学予約・入会については
お近くのルネサンスクラブで

北海道・東北
関東
東京
中部・北陸
近畿
中国・四国
九州・沖縄